大人のとれんでぃ

大人になって「あ、あまり世の中のことに興味持っていないな…」と焦った時にちょっと世の中の新しいことが分かるブログ。

年末の風物詩 忘年会がまるで様変わり?!なぜ?忘年会は必要ない?

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年末が近づき12月に入ると例年であれば忘年会シーズン。

この時期、飲食店は年間で一番のかきいれどきでもあり、世界的に経済的ダメージを受けた今、まさに経済を立て直すチャンスのときでもあります。

 

しかし、緊急事態宣言が解除されているにもかかわらず、今年の年末に忘年会を行う企業というのは少ないようです。

 

長い自粛生活を強いられ生活する人々の考え方そのものが変化したというのも理由に考えられますが、近年ではそもそもこういった集まり自体を避けるような風潮があることも事実です。

 

アフターコロナで働き方やコミュニケーションの方法などが変化するなかで、今後は忘年会も古いものとなっていくかもしれません。

 

 

年末の忘年会の役割とは?なぜ忘年会を必要性が低くなってる?

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ある調査によれば、忘年会を行わないという企業は7割を超えるそうです。

 

もはや文化としても令和の時代には廃れてしまった感のある忘年会…。

コミュニケーションの場として仕事以外の場で食事をすることが、昭和、平成のサラリーマンの間では日常的に行われていました。

 

忘年会はコミュニケーションの場

こういった場は、上司や同僚の職場では見せないプライベートな一面を見ることで、その人に親近感を抱いたり人間性を見出したりすることができ仕事でのチームワークを高めることに繋がっていた1つのコミュニケーションでもありました。

 

これは産業構造の変化によるところも大きいと思います。

しかし、生産性が求められる現代において、その人間性の高さが必ずしも生産性に比例するわけではないのが今の状況です。

 

社会も多様化したことで人それぞれ価値基準も異なり、自分の大切な時間の使い方を尊重するような社会になっています。

 

「社員一人ひとりのミッション」へと仕事が細分化

長年にわたる「同じ会社で働く社員だからみんな同じ考え方を持つべき」という考え方ではなく、「仕事上の社員それぞれのミッションがあり、そのミッションクリアのために」働きます。

 

仕事が細分化され、ある意味割り切った関係のもとで仕事をする方が生産性が上がる。このような考え方のもと成り立つ社会では、あまり人間関係を必要としません。

 

このような考え方が広がる世の中で、さらにリモートワークやそれに準ずる働き方も徐々に一般化しつつあります。

 

この動きは、必ずしも社員同士が同じ一つの場を介して集まることが必要条件にないことが見えてきてしまった形になっているのです。

 

是非はともかく、「わざわざみんなで飲みに行く文化がなくなる」というのも自然な流れなのかもしれません。

 

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忘年会や〇〇会の行く行かないが話題になる理由とは?

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そもそも、忘年会をはじめとする社員が集まって行うのみ会の行く行かないが、なぜこんなにも話題になるのでしょう?

 

もちろん近年の世情が理由に挙がるのは、誰しも予測できるところでしょう。

しかしそれだけではなく、この理由には、日本の歴史から生まれた文化、そしてその文化が続くか否かというテーマを投げかけている側面もあるのではないかと筆者は考えます。

 

日本独特の文化

日本の歴史をたどると、昔から主従関係というのものが重視されている傾向があったことは感じ取れるでしょう。

 

中世の武士の間での主従関係で言えば、

  • 主人が、従者へ御恩として利益を与える。
  • 従者は、主人へ奉公として利益を与える。

この互恵的な※1関係で成り立っていました。

 

これに似た文化が雇用関係にも表れていたが、昭和までの経営者です。

当時の経営者には創業者が多かったため、従業員との関係はほとんど主従関係で家族のような関係でした。

 

※1 互恵的(ごけいてき)…相互に利益を与え合うさま。 協力関係を築き、それぞれ相手に見返りを与えること。 互恵関係。

 

資本主義の本質が浸透していく

しかし、次第に欧米の仕組みが取り入れられ始めます。

すると、経営者も創業者だけではなく雇われ経営者がその才能を発揮するようになったり、会社自体が経営者や社員のものではなくなり株主のものとみなされるようになりました。

 

これらの動きが追い風となり、経営者と従業員が主従関係のもとでは、互恵的に繋がっていた関係が、資本主義のもとでは、雇用主と労働者という立場に変化します。

 

この資本主義で定義される「雇用主と労働者」としての関係のもとでは、生産性が重視されるため会社の利益が最優先となります。

言葉を選ばずにいうならば、労働者の利益など考慮されず、ある意味搾取されている感覚も少なからず受けるでしょう。

 

日本独自の文化「互恵関係」がないがしろに?

様々な解釈があると思いますが、のみ会に行く行かないのテーマが話題になるその理由は、働き方の変化によって日本独自「主従関係」が生んだ互恵関係を大切にする文化がないがしろにされている・廃れてしまうことへの危機感なのではないかと筆者は考えます。

 

のみ会に行く・行かない問題はニュースや新聞などでも、まだまだ取り上げられるでしょう。

 

なぜその人たちが賛成で、なぜその人たちが否定なのか。

こういった意見を1つ1つ受け止めてみると、これから自分がその会を開く立場になったとき、必要性や優先度、そして仕事や人間関係にどのように影響していくのか、みえてくるかもしれません。

 

まとめ

〇〇会の有無について、賛否はひとぞれぞれ意見があると思います。

これに関しては、私もそれぞれ考え方があっていいと思います。

 

しかし、お金を稼げればOK、その誰がやってもいいと個人を尊重しないよりも、"一人一人"が必要とされることは、働く上で大切な要素であると感じます。

 

食事を通して豊かな人間関係が築かれるのも1つの事実です。

 

会社で目標を達成したい、プロジェクトを成功させたい、そのような色々な思いがあれば、同じ会社・現場で働く上司や同僚とは、チームワークが良い方が良い場面が沢山あるでしょう。

 

もしそのために、〇〇会が必要なのであれば、仕事を抜きにするにしても、また少人数であっても、職場の仲間と食事する文化が続いていくのもいいのではないかと思います。